『セカンドライフ』と『スタートレック』と『ハビタット』・擬似「理想社会」の姿がそこに

2007年03月08日 19:35

今春予定の日本語版の登場が多く(特に企業)の人たちにとって待ちこがれる対象となっている【セカンドライフ(Second Life)】。一昨年あたりから「何か面白そうなネットゲームがあるぞ」という話を聞きチェックしていくうちに【まとめページ】が出来るくらいの記事を送り出してしまった。今回はこの『セカンドライフ』の実情を色々と調べていくうちに気がついたことを、覚え書き的にまとめてみようと思う。

スポンサードリンク

すべてのモノが自在に創造できる世界

『セカンドライフ』アイテム創造イメージ『セカンドライフ』では自分の身代わりとなるキャラクタ(アバター)には食事を必要としない。もちろん色々な飲食物はあるが、あくまでも見た目・ポーズを楽しむもの。また、寒さで凍死することもなければモンスターに捕食されることもない。キャラクタとして生存し続けるために、何かの物質を必要とする要素は何も無い。

一方、『セカンドライフ』の世界は基本的にすべてのものがプレイヤーによって創造されたものである。開拓時代や大航海時代など目ではない、まさに「一からのスタート」でここまで世界が創られた。そして今でも人が世界に色々なものを送り出している。材料は何も要らず(テクスチャなどデータのアップロードは「現実世界における」費用を必要とするが)、プレイヤーのアイディアと腕前と努力次第、そして運営側のリンデン・ラボの裁量次第で何でも作れる。置き場所があれば机や椅子、車、家、戦車、飛行機、船、何でもござれ。

このような世界の場合、モノの価値は「現実の世界」とは大きく異なる様相を見せる。一般の物質を手にいれることの価値はほとんど無くなり、人々は積極的に他人へモノを手渡し、善意を見せる。原材料の対価無くそれらを構築できるので、自分自身の腹を痛めるような「計算」をしなくて済むからだ。

一方、他人にはなかなかこなせないクリエイティブな創造物、職人や巧の技にはより一層の希少価値と敬意が払われるようになる。実際、多くのクリエイターが『セカンドライフ』内で自分の作品を広め、アピールの場として用いている。

自由な創造の世界で起き得る事・価値観の変化~『ハビタット』と『スタートレック』

『ハビタット』の場合

『ハビタット』イメージ似たような価値観はいくつかの場において見られる。まず思い浮かぶのが、前世紀末期に【富士通(6702)】が運営していたネットコミュニティゲーム【ハビタット】。直立不動の五頭身くらいのキャラクタが登場し、プレイヤーが成り代わるキャラクタを「アバター」と命名し世に広めたタイトルだ。覚えている人も多いだろう。

この『ハビタット』でも物質に関する概念は『セカンドライフ』に近いものがあった。そして「新しくこの世界にやってきた新人には、知り合った古参のプレイヤーは何かプレゼントを差し上げて歓迎の意を示す」という習慣が生まれていた。家具であったり特別の首であったり(※『ハビタット』では着ぐるみのように頭部の変更ができた。珍しい頭部を持ち装備することは、一種のステータスでもあった)さまざまだ。

『スタートレック』の場合

SF作品の『スタートレック』では『ハビタット』以上に『セカンドライフ』ライクなモノの概念が設定として取り入れられている。『スタートレック』の世界には転送技術を応用した「レプリケータ」という技術があり、モノを構成する最少構成単位(作品上の設定では分子)からあらゆるものの再構築ができるようになっている。

精巧な芸術作品は模倣できないし、食品も微妙に味が違うようだが、それでもほとんどのものがそのまま利用できるため、「モノを所有する」という行動にほとんど意味がない世界観が支配している。そして『スタートレック』ではこの「レプリケータ」という技術のおかげで「モノの所有の意義が無くなり、貧富の差が無くなり、貨幣も無くなった」という世界設定のもと、作品が展開されている。

「一般的なモノは誰にでも自由に作れる」「一部貴重・工芸品をのぞきモノの所有の価値は自己満足以外何もない」「モノの所有より、それを作り出す手段・テクニック(『スタートレック』ではレプリケーターの上手な使い方)が価値を持つ」という世界観は、まさに『セカンドライフ』のそれそのもの。

もっとも『セカンドライフ』の世界ではモノの価値はあるし通貨は存在するし、むしろ現実世界の現金との兌換性があるため、他のネットゲーム以上に人々の通貨への執着と価値観が認められる。これはある意味、『スタートレック』内での理想社会の描写と、『セカンドライフ』という実世界とつながりが深い擬似世界での現実という、皮肉な面を見ているようでもある。

『セカンドライフ』は『スタートレック』の夢を見るか

『スタートレック』の作者である故ジーン・ロッデンベリー氏は、作品に理想郷、人類の求めるべき世界を描き出すために、舞台設定としてレプリケータを用意した。『セカンドライフ』でも、他のネットゲームではありえない「基本物資は自由に作れる」システムを採用することで、クリエイティブなモノの作成を後押しする仕組みを世界に取り入れた。著作権について他のゲームが「運営側のもの」としているのに『セカンドライフ』では「作った人に著作権がある」と認めているのもその姿勢の表れだ。

もちろんこれは「面倒な空腹システムやモンスターとの戦いといった(面倒なゲーム的)要素を廃し」「ゲームの世界をコミュニケーションとクリエイティブの場とする」というリンデン・ラボ側の意図によるもの。また、そのような要素排除をしたからこそ、現在『セカンドライフ』で行われている仕組みが導入できたともいえる。

商売が悪いというわけではない。ビジネスはモチベーションを高める大きな要因となるし、世界の大半の国が資本主義である以上、経済面での解決ができなければ何も出来はしない。「仙人のように霞(かすみ)を食べて生きていく」わけにはいかないのだ。『セカンドライフ』の日本語版登場を間近にひかえ、大小を問わず多くの企業が『セカンドライフ』に支社を設け宣伝を打ち、関連事業をスタートするのもうなづける。もしかすると『セカンドライフ』はネット社会の最前線における白地地帯なのかもしれないのだ。

とはいえ、少なからぬ人が(企業の積極的な進出と過剰にすぎる商業主義的露出という)現状に、いささか閉口しているのも事実だろう。これは単に「そんなに商売商売してるとイヤけが差してしまう」「現実に引き戻される」「魅力が見られない」という発想の他に、『ハビタット』や『スタートレック』で求められていた、「理想郷」という清楚なイメージと相反するように見えるがための反発心があるのだろう。

リンデン・ラボ社の方針や、中で擬似生活の時間を過ごすプレイヤーの考えは多種多様であり、こうすべきだという絶対論はない。しかし『セカンドライフ』には『ハビタット』や『セカンドライフ』で求められていた、あるいは描写されていた、一種の「素敵な・理想的な未来像・世界像」を擬似的が創り出される可能性があるといえる。あるいはそれを超えて、商業主義と理想主義を融合した、新たな観念と理想から生み出される世界の模擬実験的な世界ができるかもしれない。

果たして『セカンドライフ』は『スタートレック』の夢を見ることができるだろうか。


■関連記事:
【「セカンドライフ不人気7つの理由」を読み解く】
【大使館設立や右左勢力の対立・『セカンドライフ』で世界が注目】


(最終更新:2013/09/12)

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

スポンサードリンク



 


 
(C)JGNN||このサイトについて|サイトマップ|お問い合わせ