人はそう簡単には変わらない。「感染したらラッキー」発言氏、「言葉が足りず誤解を招いてしまったようだ」

2005年12月04日 19:20

時節イメージ【なぁに、かえって免疫力がつく】と前後して世間を騒がせた「寄生虫卵キムチ(特定キムチ)擁護発言事件」とも表される【「キムチで感染したら、ラッキーかもしれない」】を記述したMainichi INTERACTIVEの担当記者が、「反響の大きさに」【言葉が足りず誤解を招いてしまったようだ】と釈明の記事を同コーナーに掲載した。

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全文は上記参照記事を確認してほしいが、「キムチで感染したら、ラッキーかもしれない」をはじめとする不適切と思われる表現について、「言葉が足りず、誤解を招いてしまったようだ。」と説明している。

新聞の訂正記事にあるような、一見先の記事内容について間違いを認め、素直に謝罪しているかのようなイメージもあるが、じっくりと腰をすえて読み直してみると、当人にはまったくその気はないことが分かる。

今回の記事では「犬や猫の寄生虫を念頭に置いて書いたわけではないが」と前回の記事に関する釈明をしている。が、前回記事をどう読み直しても、そのようには読めない。

・人間の寄生虫卵だったとしても「感染したらラッキー」というのはいかがなものか。
・例に挙げた野菜についている青虫と、寄生虫(の卵)とはまったく別物。後者はたとえ人間の寄生虫(卵)でも多大な影響を人体に与えうる。
・中国・韓国産のような「特定キムチ」に含まれるとされる寄生虫卵が、人間の寄生虫卵と同じだと思っていたのなら単なる調査不足・認識不足
・そもそも「特定キムチ」に含まれるとされた「犬や猫の卵」がなぜキムチに含まれたのか、そのプロセス(とそのプロセスから容易に想像される、卵以外に含まれているであろうモノ)を考えれば事態はもっと深刻であることを認識すべき


ざっとあげただけでもこれだけの問題点が確認できる。にも関わらず、「言葉が足りず」とだけ説明し、「誤解を招いた」とだけ自分の心境を述べるに留めている。つまり、「表現の仕方に不足が生じて誤解させてしまったようだ」ということだけであり、先の記事に関する訂正や謝罪、認識の改めはまったく行われていないということが分かる。記事の締めでは「食の安全への読者の多大な関心を実感しつつ、取材を続けていきたい」とあり、「現状は認識しているがそれだけの話」「これからも私のやり方は変えないよ」といわんばかりの発言すら。

まぁ要するに、この記事からはっきり分かるのは「世の中色々な人がおり、色々な考え方の人がいる」ということくらいなのであろう。だからこそ、そういう多量の情報に触れることとなった現在においては個人個人のメディアリテラシーが必要不可欠とされる。

ちなみにメディアリテラシー(media literacy)とは【@IT情報マネジメント用語辞典】の一部から引用すると、

さまざまなメディアが伝えるメッセージや情報を批判的(critical)に読み解き、コミュニケートする能力のこと。

もともとは新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどのオールド・マスメディアが持つ支配的な影響力に対する問題意識から生まれている。マスメディアが報じる情報は個人的にも社会的に「現実」「真実」と受けとめられる傾向にあるが、実際には完全な客観報道はあり得ず、そこには何らかの意図や価値観が込められている。そこで、こうしたメディアの特性について理解し、メディアが伝える情報を自主的に判断して活用する能力を身に付けることが重要視とされるようになった。

(中略)

これらインターネットメディアにおいても、各メディアの特性の違いを理解し、玉石混交の情報に踊らされない主体的な情報の“読み取り能力”を身に付けることの重要性がつとに叫ばれている。また同時に、インターネットメディアは多くの人の情報発信力を強化するため、“情報発信能力”としてのメディアリテラシーも求められるようになっている。


とある。当方(不破)が考えていることもほぼこの中に集約されている、としておく。

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