昔手紙で今メール・昔も今も「津波」に悩まされるのに変わりなし

2008年04月21日 08:00

電子メールイメージフィルタソフトを使っていても、着信メールの何割がスパムメールか分からない昨今。本人にとって有益と思われそうな情報でも山ほどのメールが毎日着信し「二酸化炭素のように急激に人と人とのコミュニケーションが増加したのか」と某携帯電話のコマーシャルのように悩む人も少なくない。しかしこの「メール津波」によって頭を抱えるような事態は、何もつい最近起きたものではないのだというのが【NewYorkTimes】のコラムによる主張。いわく「電話にメール、新しい情報媒体が出来るたび、人は『情報の津波』に悩まされてきた」とのこと。そしてその解決策も紹介されていた。

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コラムではTechCrunch(著名なデジタル系ブログ)創設者Michael Arrington氏が2433件の未読メールを目の前にため息をついている状況を紹介。未読メールをすべてゴミ箱に投げ込んで削除してしまうという「メール破産」を宣言しても、新しいメールが次々舞い込むだけでまったく意味がないという現状を説明している。著名人でなくとも、毎日数十、あるいは数百件ほどのメールを受信しているはず。

Arrington氏が「津波メール」に関する愚痴をこぼしたとき、さまざまなツールが紹介された。フィルタ機能に優れたもの、履歴をきれいに整理するもの、メールの内容をダイジェスト的に再構築して読みやすくするもの。しかし最終的な解決策として、コラムや愚痴へのコメントが提示しているものは、電子メールが普及する以前から「情報の津波」への対抗策として使用されていた、古い、だが確実な方法だった。

メールの手間を省くのに秘書を使う?

秘書イメージそれは「秘書を用いること」。かのトーマスエジソンは自分への手紙を「自分の必要なこと、興味のあること」を熟知している(そして経験の中で理解するようになる)秘書に分類させ、必要なものだけを手元に送るようにした。エジソンも毎日のように興味半分で送られてきた「返事がほしい」という内容の、エジソン本人にとっては無価値の手紙を大量に受け取っていたという。秘書がそれを「フィルタリング」し、読むべき価値のあるものだけをエジソンの手元に届けていた。それと同じような手法を用いれば、解決できるのではないかという話だ。

しかし「人間の労力を軽減するために」利用している電子メールというデジタルツールを活用するため、他の人間の手をわずらわせなければならないなど本末転倒に他ならない。結局他にも同様の境遇を持つベンチャー企業のトップも「毎日数千件ものメールを受け取るし、単なる物乞い的な(自分にとっては)無意味のメールも10%に達しているんだよ」と愚痴を語っていたという。またと「自動返信ツールも便利だけどね」とある程度の効果を認めつつも、ツールに全面的に頼り切ることには否定的だ。

過去の事例に学ぶ「電子メール処世術」

コラムでは作家H. L. Mencken氏の事例「相互関係の名の下において、送られてきた手紙の礼儀正しさに応じてその日のうちに返事を書く」も紹介している。礼儀正しい姿勢で返事をし、相手がそれに応じれば相手のことを尊重する。そうでなければ自分の心のうちにおける相手の「立ち位置」を変更する。要は相手の対応次第で段階的な「心の中のフィルタリング」をかけるということだ。

■Mencken氏から学ぶ
電子メール処世術
(1)フィルタ活用と
相手の立ち位置に
応じた反応
(2)メールの確認は
一日二度まで

また、毎日大量に郵便物が送られてくるにも関わらずMencken氏は、一日に二度だけしか郵便ポストを確認しなかったという。自分自身の生活リズムを崩されたくはなかったからだ。

「自分の中にある相手の立ち位置に応じた反応を示す」は、スパムフィルタ(単なるスパムメールは反応を起こす必要すらない)と送信元フィルタ(送り先毎に着信メールを分類させて優先順位を付け、必要なもの・重要なものから順に目を通して場合によっては返事をする)ということで現在の電子メール事情にも活用できそう。

また、「一日二度だけ手紙を確認する」はそのまま「電子メールのチェックは一日二度まで」と置き換えて、そのまま活用できそう。受信するメール総数は同じでも、チェックする回数を少なくすることで、自分自身のフィルタの精度を上げ、結果として有効なメールのみを確認でき、余計な時間を費やさずに済みそうだ(同じ100件のメールを受信するにしても、一度に100件チェックする場合と、10回に分けて10件ずつチェックする場合とでは、前者の方が「重要度」「必要度」の振り分けが厳しくなるのはいうまでもない)。


電話イメージしかしMencken氏も電話の音には悩まされていたという。自分の生活リズムを崩し、突然自分の時間に割り込んで集中力を乱す電話に対し、「いっそのこと電話を発明したグラハム・ベルが4歳の時に氷のワゴンに引かれてしまえばよかったのに(そうすれば電話など発明されず、自分が電話に悩まされることもないのに)」と愚痴をこぼしていたとのこと。

結局のところ、新しいメディアは利用者にとって利便さをプラスするものとして多くの人に受け入れられるが、利用者すべての立場を考えているわけではないのも事実。人間が新メディアの機能に応じて「進化」するまでは、「情報の津波」に飲み込まれ、頭を抱えることになるのだろう。

まるで「手紙」では対応できたMencken氏が「電話」には対応しきれなかったように、我々もまた「電話」には何とか対応できても「電子メール」には対応できない。ただそれだけの話なのかもしれない。

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