書籍紹介:トリコロMW-1056 1 特装版

2008年03月11日 19:25

「トリコロMW-1056 1 特装版」イメージ本来なら書籍レビュー専門のサイト『Garbagebooks.com』に掲載する類の記事『トリコロMW-1056 1 特装版』の書籍紹介ですが、少々気合を入れたところ長文になってしまいましたので、「せっかくだから」ということでこちらにも掲載しておきます。ご興味のある方は目を通して見てください。

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「トリコロ」あらすじ
お料理好きで少々人見知りで一人っ子ゆえに妹を欲しがっていた七瀬八重。彼女の元にやってきたのは母親幸江の親友の娘、メガネっ子で博学でちょっと自分のスタイルに気を使う青野真紀子と、スポーツ好きで動物と合い通じる優しい心を持つ由崎多汰美だった。二人とも八重と同い年の高校二年生だが、背丈の違いから二人は姉のような立場になってしまう。突如姉妹のような同居人ができた八重、そして居候の真紀子と多汰美、さらには八重によって欠けていた人との触れ合いや愛情を得ることができ、八重を姉のように慕う潦景子の合わせて四人の高校生活を中心に、時に楽しく、時に人の想いの温かさを感じさせる、心の触れ合いをメインに描いていくホームコメディ四コマ漫画。

「トリコロMW-1056 1 特装版」スペック

元々芳文社の雑誌「まんがタイムきらら」で連載されていたもので、そちらは芳文社から単行本化されている(「トリコロ1」「トリコロ2」)。「トリコロMW-1056 1 特装版」は電撃大王(メディアワークス)に移籍してからの作品と、芳文社の単行本化された分以降の未掲載版が本編として収録。そして本編より厚いオマケ冊子「稀刊ツエルブ」には、「トリコロ」の芳文社時代における未収録作品をはじめ、作者海藍先生の多種多様(「ママはトラブル標準装備!」など)な作品が掲載されている。

本編より厚いオマケのボリュームもさることながら、写真情報誌のような表紙デザインなど、遊び心満載の「稀刊ツエルブ」には「してやられた」という気分にさせられる。なお再録された未収録作品の中には原稿が無くなった関係で掲載誌から復元したものもあり、やや見難い部分もある。一方で各作品登場キャラが「現在の」海藍先生のタッチで描かれた姿を堪能できる(イメージカット的に随所に挿入されている)ことで、それらの難儀さは十分に補えるだろう。

「ほのぼの」から「スラップスティック」へ

芳文社版と今回発売されたメディアワークス版で大きく異なるのは、話全体の雰囲気、あるいはストーリーの流れ。主人公達が高校生であるにも関わらず学校内でのやりとりはそれほど多くなく、個性あふれる彼女らの作品内での動き、彼女らの想いの交差や気持ちのキャッチボールを楽しむのが作品の大筋であることに変わりはない。ただし、掲載誌全体の傾向、あるいは方針からなのか、作品の雰囲気に多少の違いが見られる。

芳文社版においては「ほんわかほのぼの」とした人情ドラマ、例えるなら1980~90年代におけるホームドラマ風の空気が支配していた。それがメディアワークス版に移行してからは、芳文社版ではサブ的な割合でしかなかった「どたばた」「ずっこけ」的な、一言で表現するならどちらかといえば「どたばたギャグ」「スラップスティック・コメディ」的な印象が強くなる傾向が見られる。それに伴ってか絵のタッチも、柔らかさ・ラフさ(四コマ漫画雑誌特有のもの)から、やや繊細なものに変わりつつある感は否めない。

とはいえ、「トリコロ」の本質は何ら変わるところは無い。「特装版」(を含む電撃大王掲載版)ではむしろ変化を楽しむことができよう。

世界を共有できる綿密な設定

作者海藍先生はかつて「トリコロ」のファンブック(「トリコロ プレミアム」)において、「トリコロでは緻密な世界観の設定をしており、それに基づいて登場人物たちを動かしている。さりげないシーンや行動の中にも、その設定が見え隠れしている」という主旨の発言をしている。実際、ファンブックやイメージアルバムCDの設定資料を見ても、一端のアニメーション作品に勝るとも劣らない設定の数々が用意されているのが分かる。要は「トリコロ」は細かい部分まで綿密に創られた箱庭のようにしっかりとした世界観の中で、意志を持った登場人物らのいきざまを描いている漫画とすら表現出来よう。

自分自身も「設定マニア」と表現するのはややはばかれるが、しっかりとした設定の元に描かれた作品にはその世界に吸い込まれるようなくらいに熱中して時間を費やし、楽しむことができる。一方で、どこか違和感のある、食い違いを感じる描写があるとその場で「現実の世界」に引き戻され興ざめしてしまう。そのような趣向を持つ自分にとっては、「トリコロ」は久々に遭遇した「心底楽しめる作品」といえる。

「匠」の技と単行本化における手直しの数々

単行本化された作品のうち「トリコロ」分について、当方は電撃大王掲載分はすべて本紙掲載時から目を通し、また保存している。単行本に目を通し、やや違和感があったので比較対照すると、あらためて海藍先生がこだわりを持つ「匠」であることが実感できた。

元々設定マニア的な面に加え、タイトルや話の流れも緻密に考え抜かれたもので構成されているなど、「普通の四コマとは違う」感のある「トリコロ」だが、単行本化されたものを見ると改めて作品への愛情・想いを感じ取ることができる。電撃大王本紙掲載時には(恐らく)時間が無く間に合わなかった部分はしっかりと描きこみが追加されているし、恐らく気に入らなかったであろうコマはすべて描きなおしが入っている。スクリーントーンを張り変えるだけでその情景へのシンクロ度を高めたり、効果音やちょっとした言い回しの変更で臨場感をアップさせるなど、数え上げればきりが無い。

それらがすべて「一話一話掲載の連載時」ではなく「一挙にまとめて読み進める単行本化」において、読者が持つかもしれない違和感を取り払うための、そして「トリコロ」という作品の完成度を高めるためのものであるのだから恐れ入る。

最近のアニメではテレビ放送時とDVDなどでのメディア発売時において、手直しが行なわれることが良くある。「トリコロ」における単行本化作業では、恐らくそれに匹敵、あるいはそれ以上の手間がかかっていると思われる。機会がある人は電撃大王掲載版と単行本の描写を比較してみると良いだろう。恐らく一日かけても終わらないはずだ。いかに手が加えられているか、作品に対する想いが強いかが分かるに違いない。

「2」はいつになるのか

「特装版」を含む電撃大王掲載版第一巻は、連載一周年を記念した増ページの飛行船に関する話を経て、駄菓子屋さんでのエピソードで終わっている。本紙掲載時はこの後三か月ほどのインターバルを置き、「ちょっとデジタル化して」と称し、恐らくデジタル入稿かCGの部分採用化に移行する形で再開を果たしている。この期間以降、試行錯誤を繰り返しているからなのか、絵のタッチがさらに微妙に変化を見せている。これが今後の基本フォーマットになるのか、それとも慣らし運転によるもので、じきに安定化を図るのかはまだ分からない。ただ場合によっては、今回の単行本化のプロセスのように、大規模な手直しが入る可能性もあるだろう。

またストーリー上でも、主人公の七瀬八重の親戚周りに関する少々不安を持たせるようなニュアンスの表現が、いくつか見られるのが気になるところ。これまでにも不明な部分や似たような雰囲気を感じさせる描写はいくつか見られたが、今回の単行本でまだ収録されていない本編部分では、今後の展開につながるかもしれない表現がいくつか出ている(「ジャンケングリコ」の回など)。元々設定をしっかりと創り上げた世界観の中で登場人物を動かしていることや、単に思わせぶりだけで何の意味もないものなら、そもそもそのような描写はしないと思われるだけに、気になるところではある。

連載の再開、そして単行本「2」の発売までは、繰り返し「トリコロMW-1056 1 特装版」を読み直し、作品への想いをさらに強めることをおすすめしたい。


(最終更新:2013/09/07)

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