携帯しか使えないと「下流」なの? 「下流携帯族」論にダウト!?

2007年03月01日 08:00

モバイルイメージ先の【「給料が上がらないのは人件費を減らして利益を上げねばならないから」のカラクリにダウト!?】に続く、メディアの論説に疑問を感じツッコミを入れサイトの中心で勝手にダウトと叫ぶ趣旨の記事第二弾。対象はここ数日情報サイトのニュースクリップに踊る【パソコン見放す20代「下流」携帯族】という記事。気になってはいたのだが、じっくり読んでみるとやはり漫画表現のように自分の頭の上に「?」マークが浮かんでしまった。携帯しか使えないと下流社会入りなの? 否定的意味合いの強い「デジタルデバイド」という表現を使うべきなの?

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記事の主旨は次のようになる。ネットリサーチ会社ネットレイティングスが2006年11月に発表した【2000年から2006年の6年間でウェブ利用者の年齢構成に大きな変化(PDF)】とそのリリースに掲載されていた表を元にしたものだ。

ウェブ利用者の年齢構成比推移。特に20代(ピンク色)が急速に下降中なのに注目されたい。
ウェブ利用者の年齢構成比。特に20代(ピンク色)が急速に下降中なのに注目されたい。

いわく、

・20代は50代と同じくらいしかパソコンサイトを使っていない。
・ケータイの普及でネット利用者の底辺は広がったが、「コンピューターに対する知識の欠如」「キーボードで字を打てない」という”退化”を若い世代にもたらしている。
・ケータイの入力はキーボードと比べれば遅く、情報発信力に劣るので、ケータイ文化は「情報を受け取るだけ」の受身スタイルになるのかも。
・アップルのiポッドはこの「受身スタイル」を先取りしている。
・ブルーワーカーやフリーターはパソコンすら買えずパソコンも使えない「親指族」になる。これも「格差社会」の象徴ではないか。


というものだ。ざっくばらんにかつやや無茶にも一行でまとめると「若い携帯世代は携帯に慣れてしまってパソコンのネット利用の良さを満喫できずに受身になるのでデジタル面において下層社会入りしてしまうがそれは格差社会の一面を呈している」というところだろうか。

だがちょっと待って欲しい。当サイトで何度か指摘しているように、携帯電話の普及と共に機能が向上していくにつれ、多くの人がモバイルインターネット端末を手に入れるようになっている。そして中にはパソコンからではなく携帯電話からインターネットの世界に入った人も少なからずいる。「パソコンでネットを扱うことも出来なくはないけど、ケータイがほとんどダネ」という人は、案外、特にライトユーザー・世間一般の人に多いはずだ。

当方(不破)の実体験でも、中高年齢層、特にご婦人方の中にそのような傾向を持つ人が多い。以前紹介したかもしれないが、当方が通院している病院の待合室で、知らないもの同士だった主婦のおば様方が自分の携帯電話の話題に華を咲かせ、お互いに赤外線通信機能を用いてメールアドレスの交換をしたり、機能の違いを盛んに説明しあっていた(病院内は携帯電話の利用は原則禁止なのだが……)。

確かに、どんなに性能がアップしてもパソコンと比べれば携帯電話が出来ることは限られている。携帯電話でサイトの構築など、想像しただけでも「ごめんなさい、できません」と謝りたくなるほどだ。当然情報発信能力はパソコンの方が上になる。また、値段もパソコンの方が何倍も高い。だからといって「パソコンはハイソ、携帯は下流」というように、過去の悪癖として名高い「○金・○ビ」のような形式による画一化をしても良いものだろうか。

携帯にしてもパソコンにしても、情報を入手したり配信する「道具」に過ぎない。そして道具は「目的」を果たすためにある、手段としての存在価値を持つもの。「パソコンが使えなくとも携帯電話でOK」とする人たちは、そもそも「携帯電話で目的を十分果たしうる」と判断しているからこそ、携帯電話を使いこなし、活用している。その姿を見て「あなたたちはこんな高性能なパソコンを使えない、使わないから下級だ、格差社会の底辺だ」というのは視点が違うに過ぎないことと錯覚しているだけではないだろうか。

例えるのなら、「ビデオデッキはいかにキレイに便利に映像を録画し再生するのが一義的なもの。なのにビデオデッキの価格や必要の無い機能をごたごたとつけたハイエンドマシンを持って上流とし、スタンダードなビデオを下流とせせら笑う」ようなもの。さらに極端な例を挙げれば「精進料理にはあんなに美味しい肉が使われていないから貧乏くさい。下流社会の人がたしなむものだ」と定義しているようなもの、なのかもしれない。

携帯電話を情報の送受信におけるメインの道具として使っている人の中には、確かに「情報社会における下層」的なポジションの人もいるだろう。しかし送信側の技術進歩でそのハードルはいくらでも超えさせることはできるし、本人が必要のないハードルをわざわざ越えさせる必要もない。携帯電話を使いこなしてパソコンには疎遠な人は、それなりの理由と意義を持っている。「道具」と「手段」のすり替えで、そのような状況を「下層だ」「格差社会の犠牲者だ」というレッテルを貼られたのでは、正直遺憾に思うに違いない。

また、「親指族」はこうも反論するかもしれない。「それを言うなら家や会社に閉じこもらないと使えないパソコンなんて下層だ。いつでもどこでもすぐにネットに接続でき使える、モバイルなネット環境を持つ携帯電話こそが、真の情報双方向時代にマッチした端末だ」と。むしろ状況・ニーズ・各自の趣味趣向にあわせ、パソコンと携帯の両方の特徴を活かして使いこなしてこそ「ハイソな情報の達人」と崇めるべきなのだろう。どちらが優れてどちらが劣る、というわけではない。両方ナイスでイカす情報端末なのだ。

……まぁ、実のところ元記事も「パソコンならもっと色々できるから、携帯だけじゃなくパソコンも使ってみようよ」という心のうちを語っているのかもしれないが。


(最終更新:2013/08/22)

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