「産む機械」がダメで「我が家のオトコは何だかにおう」はOKなのは?

2007年02月25日 19:30

時節イメージ先日柳沢厚生労働大臣による「女性は生む機械」発言をきっかけに「女性を卑下するとは何事か」という世論が沸きあがったのは記憶に新しい。この発言も前後のつながりをよく読むと、一般報道されているような大騒ぎをする内容ではないのだが、とかく世論としては「柳沢大臣の発言は女性蔑視、ヨクナイ!」とするのがウケると認識したようだ。その一方、「これは問題だろう」というテレビCMが何度と無く報じられているのに、まったく問題視されない現実がある……という話を、女性の記者による記事の中で見かけた。【NIKKEI NeTの中の「数字で見る男と女の働き方・語られざる男性差別」】というものだ。

スポンサードリンク

話の対象となっているのは【花王(4452)】の室内消臭スプレー「リセッシュ」のアニメ版。【こちらで該当するテレビCMを見ることができる】。問題のCMは「スーツしゅっきり編」。帰宅したばかりと思われる学生服の男の子やサラリーマンの男性の背広から、匂いを表すもやもやが流れ、その周囲にいた女の子や妻が鼻をつまみながらイヤな顔をしつつ、匂いをぱたぱたとわきに寄せるような仕草をしている。そして出てくるセリフは「我が家のオトコは何だかにおう」。

CMの主旨としては「男性の汗くささはにおうから、リセッシュを使って部屋の香りをよくしよう」というものであり、他のシリーズ同様に「匂いがするからこの商品を使おうね」というコンセプトで統一されている。とはいえ、当方(不破)もこのテレビCMはよく見かけたが、多少の不快感と共にひとりごちる形で「なんでやねん」というツッコミをしていた。

元記事で女性記者が指摘している文言がそのままその通りなのであえて引用させていただくが、「家族のために1日中働いて疲れて帰ってきたところに「スーツがくさい」なんて言われたら頭にくる」。事実汗臭いかもしれないが、それは口に出したり態度にして良いものではない。

よく親が子どもにしつけをする時に使う言い回しで「同じことを自分がされたらどう思うか、相手の気持ちになって考えなさい」というものがあるが、同じことを女性が男性にされたらどう思うだろう。良い気分になるはずがない。世の中には言って良いこととそうでないことがある。

女性記者はさらに「逆の立場でCMの企画を立ち上げたら会議で没になる。何で女性に関する表現には気を使うのに、男性にはこれほどまでに鈍感なのか」「柳沢大臣発言が問題なら、かつての『亭主元気で留守がいい』や、定年退職後の夫を『ぬれ落ち葉』『粗大ゴミ』と称するのはどうよ」と追求する。そこに端を発する、男女差別の分析と、昨今における平等化に潜む「男性差別とその黙認、そしてその不公平感」については各自元記事の内容を確認していただこう。

以前似たような疑問を持ち、色々調べた経験が当方にもある。そのような、つまり「女性差別というけど、男性差別もあるじゃないか」というツッコミに、いわゆる「フェミニズム(を達成するための女性の権利獲得運動者)」たちは口をそろえてこう述べる。「これまで男性が良い目を見てきたのだから、それくらいの女性ひいきをしてもいいじゃないの」。つまり「女性に対するえこひいきであることは分かってる」とした上で「これまでの不公平感を補うためだから、穴埋めするのであって、問題なし」と主張するわけだ。

当方は当時、そして今でも当事者ではないので深くは突っ込まないしつっこみようもない。が、「これまで男性が優位だったんだからその分女性が便宜を図られるべきだ」というのは、歴史や文化人類学の勉強不足を指摘されても否定できないだろう。どの時点で区切り付け、「総計的に男性が優位で女性が不利」と判断したのか。そもそも「優位不利の定義ってどうなってるの」ということだ。

日本の戦国時代、女性の武将は(記憶にある限り)ほとんど皆無。だからといって女性が卑下されていたわけではない。女性には生死の境目を行き来する戦場になど足を踏み入れて欲しくないという思いがあり、だからこそ守られる存在であった。よく使われる「女子どもは出てくるな」という言葉は、一見差別のようにも見えるが、これこそ「女子どもは(危険だから)来てくれるな、守りきれなくなるではないか」という男の愛情表現でもあるのだ。本当に卑下するのなら、それこそ女子どもを最前線に立たせて盾代わりに使うのではないだろうか。

もちろん男性が汗臭くてにおうのは事実かもしれないし、その一方で(柳沢大臣の発言の件では)女性は人間であって機械ではないという大きな違いはある。が、「性別の差による区別で、言われたらいやだなぁ、と思うこと」という観点では違いがない。男性だって「男性は種馬だ」などといわれたら良い気分にはならないし、上記で女性記者が述べているように「我が家のオンナは何だかにおう」と夫に言われたらやはりイヤな気分になるだろう。

とりあえず、今回の柳沢大臣の発言に際し「女性は生む機械だなんてとんでもない」と息を上げた方々は、今CMと柳沢大臣の発言の内容を(報道で端的に語られているものではなく、おおもとの発言を)じっくりと見直してほしい。そして「男性はなんだかにおう、という差別的表現は許されるのか」と同じように意見してほしいものだ。そう、ダブルスタンダードと非難される前に。

……本当なら、今回のCMでなら男性たちは「そうだね、におうね、どうにかしなきゃな、あはははは」と笑い飛ばし、柳沢大臣の発言なら女性たちは「なぁにバカいってんのよ、機械も何も、子どもは女性にしか産めないでしょうが。悔しかったらあんたも子ども生んでみなさいよ」と、大臣の肩をばしばしと叩きながら笑い飛ばせるような切り替えしをしてこそ、本当の大人の対応であり、みんなニコニコできるものだ。

それをやれ大臣辞めろだの、バレンタインデーに「辞める貴方が好き」だのとでかでかと描いたケーキを手渡すなど、お子様な態度を取り続ける一部の方々の行為は、正直辟易(へきえき)する。実はあの方々たちこそが、自分たちの存在意義を再認識できる「差別」を一番望んでいるのではないかとすら思えてくるのだが、どうだろうか。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

スポンサードリンク



 


 
(C)JGNN||このサイトについて|サイトマップ|お問い合わせ