現金要求の小学校で校長が自ら示した「負の教育」

2006年11月13日 12:30

時節イメージ[このページ(nhk.or.jp)は掲載が終了しています]が報じたところによると、北九州の小学校で女子児童が同級生から現金を要求し、実際に13万円以上を渡していた問題で、同小学校の56歳の校長が11月12日午後、首をつり死亡しているのが見つかった。警察では自ら命を断ったとして調査を進めている。

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今件は5年生の女子生徒2人が同級生から現金を要求されて、ゲームセンターなどであわせて13万円以上を渡していたと見られる問題が発覚したもの。すでに両者の保護者などとの話し合いで一部は返還されているということだが、ことがことなだけに詳細はあまり明らかにされていない。校長は11日に、「いじめがあったと認識していながら、教育委員会に対し、いじめとは報告していなかった」と事実を隠していたことを認めると共に謝罪をしていた。

学校では本日13日を休校とし、保護者会で詳しい経緯を説明すると共に、教職員を対象に専門家によるカウンセリングも実施するという。

「生徒へのカウンセリングはしないのか」という突っ込みがまず浮かんでくるが、それはともかくとして。最近未履修をはじめとするさまざまな問題が学校で相次いで発覚し、それを引き金に該当する学校の校長が命を断つという事件が相次いでいる。多くの生徒の将来をあずかり、責を担う先生のトップに立つ者として重圧がただでさえのしかかっているのに、「こんなことが発覚(発生)して、彼ら・彼女らの将来はどうなるのだろう、自分の責任は」と思いつめての行動と推測できなくもない。教育者たるゆえの「決断」と見る人もいるだろう。

しかしながら、もし「教育者」としての考えがあるのなら、どんなことがあっても自らの命を断つことは止めて欲しい(もちろん教育者云々以外でもそうなのだが)。生徒たちの見本である先生の、ましてやその「先生の先生」たる校長がそのような行為をしたら、生徒たちはどう思うだろう。

「何かヘマをやっても、それに立ち向かい、反省し、事態を修復させようという努力などしなくてもいい。逃げてしまえばいいんだ。
 逃げられなくなったらこの世から逃げてしまえばいい。校長先生が自らの身をもって、手本を見せてくれたのだから正しいのだろう」


と思ってしまうかもしれない。

「そんなバカな」と意見する人も多いはず。しかし先生の、そして先生の先生たる校長先生の権威が少しでもあるのなら、そう考える生徒がまったくいないと否定することも出来ないはず。

教育者としての思いが強いから自らの命を断とうと考えているのなら、その思いがどういうことを引き起こすのか、それはかえってその「教育者の思い」に反する結果しか生み出さないことを重々承知してほしいものである。

……死人に鞭打つような感じがして、あまり気分の良いものでもないが、あえて書き連ねることにする。

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