「ハンガリー動乱」から50年経った式典でまたも「動乱」、旧ソ連戦車T-34が街中をじゅうりん

2006年10月25日 19:30

T-34イメージ【asahi.com】などが報じたところによると、前世紀中ごろの1956年にハンガリーで起きた「ハンガリー動乱」から50周年を迎えた10月23日、ハンガリーの首都ブダペストで行われた記念式典において、一部のデモ隊が暴徒化して展示されていた旧ソ連製のT-34/85戦車を奪い警官隊と衝突する騒ぎが発生した。

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ハンガリー動乱とはアメリカと旧ソ連(現在のロシア)の対立構造という東西対立が始まったばかりの1956年、ソ連側に組されていたハンガリー内で発生した大規模な民主化運動(革命と評される場合もある)に対し、ソ連軍が大規模な軍事介入を実施。15万人の歩兵と2500両もの戦車が「運動」鎮圧を行い、ハンガリー・ソ連軍双方に大きな被害が及んだもの。冷戦構造がはっきりしていたこの時代に起きた「運動」に対し、冷戦下では東西それぞれ評価が分かれていたが、現在では一定の肯定的評価が(ハンガリー国内でも)なされている。

T-34イメージ今回の50周年式典では、4月に行われた総選挙でうそ※をついたと認めたジュルチャーニ・ハンガリー首相に野党が反発して式典そのものをボイコット。さらに首相の辞任を求めるデモ隊の一部が暴徒化し、この式典のために大通りに運ばれていた、ハンガリー動乱時にソ連軍が使用していたT-34/85戦車を奪い操縦。警官隊に向かって突進をする騒ぎに発展した。

警官隊では催涙弾やゴム弾で応戦し、式典は一時騒然となり、「当時の戦車」の乱入もあわせまるで半世紀前の動乱が再現されたかのような状況になったという。一部報道では今のところ170人近くのけが人が出ているもよう。

展示品のT-34/85※2であって実包が装てんされていなかったのは幸いだが、それでもあの重量と威圧感は走行するだけでも十分な武器になりうる。ハンガリー動乱当時その場にいた人にとって、今回の騒ぎはどのように映ったのだろうか。

ブダペストでブログを展開している【Pestiside.hu】にも(騒ぎの真っ只中ではないが)当時の様子がレポートされている。戦車の写真もそこから引用したものだが、それによると当初はおとなしめだったデモ騒ぎも昼過ぎから一部の集団によってたきつけられる形で大きくなり、午後に入ると集団心理のなせるわざか警官隊とデモ隊との衝突が激しさを増し、くだんのT-34/85の登場となった。ただ、燃料タンクに残っていたガソリンは少量だったようで、すぐにガス欠になって停止したとある。

前世紀末期のルーマニアでの騒乱の際にもT-34/85がテレビに登場し驚かせたものだが、今世紀に入ってまで、動く姿が見られるとはある意味驚きでもあり、複雑な気分にもさせられるものだ。


※「総選挙でうそ」……選挙時には減税を公約に掲げていたが選挙で当選すると一転大増税を実施すると発表した。さらに国家財政の建て直しのため歳出削減も表明している。

※2「T-34/85」……第二次大戦中に旧ソ連の主力戦車として活躍した戦車。「/85」とは85mm砲を搭載していることを指す。さまざまな欠点もあったが、大戦中最良の戦車のひとつとして挙げられ、戦時中だけでも(T-34全体で)3万5000両、戦後も(T-34/85だけで)3万両ほどが生産されている。主に東側諸国で生産・使用され、「共産主義国の象徴、守り神」と評されたこともある。

(最終更新:2013/09/15)

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