タイで陸軍幹部によるクーデター発生、テレビ・ラジオ局を占拠

2006年09月20日 04:55

タイ国旗イメージ各種報道によるとタイでは9月19日、日本時間の20日未明、国軍がテレビやラジオを通じて「国の平和のために軍と警察などが首都やその周辺を制圧した」と発表してクーデターの決起を明らかにすると共にタイ全土に対して戒厳令を宣言した。現在タイでは戦車や装甲車などが出動して首相官邸などを占拠しているとのこと。

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タイイメージ[このページ(nhk.or.jp)は掲載が終了しています]の報道によればタイの各テレビ局では9月20日の未明からいっせいに通常の放送を中断し、プミポン国王の映像を流すと共にタイ国軍の声明を発表。クーデターの理由として「タクシン首相による政権は治世能力に欠け、紛争やわいろが横行している。このような不穏な情勢はかつてなかったことで、軍と警察は国王陛下のもとで国をコントロールする」と発表した。

一方で国連総会に出席するためにアメリカのニューヨークを訪問中のタクシン暫定首相は、首都のバンコクに非常事態宣言を発令。陸軍のトップであるソンティ陸軍司令官を解任すると発表した。しかしクーデターを起こしたタイ陸軍側ではこの非常事態宣言を無効とし、タイ全土に戒厳令を敷くと宣言。現在クーデター側が軍全体を掌握していると見られている。なおNHKの報道によれば、現在首都のバンコクでは大きな混乱は起きていない。

タクシン暫定首相をめぐっては先だって報じられているように、首相一族による不透明な株取引をきっかけに、首相に対する不信感が高まり辞任要求が相次いでいた。4月4日には退任を表明し次期国会で首相指名は受けないと宣言したがその後も国会が開けない事態が続き、首相交代が実現せず「暫定」がついた首相としていまだにタクシン首相がその地位についていた。

タイでは国王に対する崇拝、尊重が絶対的で国王が三軍を統帥している。今回のクーデターについてもプミポン国王の意向が大きな鍵をにぎることは間違いなさそうだ。

【外務省のタイ王国のデータページ】によると、「2005年3月9日に下院でタクシン党首が首相に指名され、14日の国王への宣誓式を経て第二期タクシン政権が成立した。2006年2月大規模な反首相デモの連続を受け、タクシン首相は下院を解散。4月に選挙が行われたが、主要野党は参加をボイコットした。選挙で与党愛国党は過半数は確保したものの多数の議席が確定しない等の混乱が生じた。その後5月、司法当局は選挙を違憲無効との判断を下した」という説明がなされている。また9月16日にはタイ南部で爆弾爆発事件が発生するなど、情勢の悪化が懸念されていた。

情勢が不安定な時に、片方の勢力が外遊している合間を縫ってもう片方の勢力がアクションを起こすのはよくあるパターン。今回のタイ陸軍の動きも可能性が無かったわけではないとはいえ、驚きを隠しえないのもまた事実ではある。

タイは元々親日国として名を知られおり、外務省によれば邦人は登録されているだけで3万3000人ほど。2007年には修交120周年のイベントも開催予定。バンコクにその過半が居住している。今回の騒動による影響は今のところないようだが、今後の情勢が気になるところではある。なお海外市場では今報道を受けて香港やインドなど一部市場で急落していようすがうかがえるが、大勢に影響はないようだ。

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