「1.5次情報」という考え方~昔から考え、そして今、目指しているもの

2006年03月13日 23:59

さる野党議員による電子メールを用いた壮大な「釣り事件」などをきっかけに、「一次情報」と「二次情報」(以下三次、四次と続くが略)との違いや、取り上げ方について、さまざまな議論が交わされている。一方、当方(不破)自身は自身で前々から、当サイトやそれ以前に運営協力していたG-Newsなどで、一次情報でもなければ二次情報でもない、その中間にあたる「1.5次情報」というものの配信を目指そうではないかと考えて、それを目指していた。そろそろ覚書的に、この考えをまとめておいた方がよいと思い、今回ざっと絡めてみる。

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情報とはどこかで発生したものが色々なメディアによって媒介され、伝えられ、広まっていくもの。明確に定義すればまったくゼロから発生しうる情報など稀有に等しいのだが、それはともかくとして、一次情報とはこの「情報の伝聞、経路におけるスタート地点に位置する情報」に他ならない。何らかのソースがあるものの、自己を言及したり自ら創造したり取材した内容によるものだ。

それに対して二次情報とは、先の一次情報を元にコメントを加えたりして発するもの。そのままベタコピーでもかまわない。ウィークエンダーでおなじみの「新聞によりますと」や、今流行のニュースピックアップ形式サイト(引用元のタイトルとURL・ハイパーリンク+コメント少々の羅列形式)が良い例だ。

三次、四次とは、それらの二次情報を元にしたものに他ならない。流れ的には「一次情報」→「二次情報」→「三次情報」→……といった形。コピー・ペーストが可能なネット上での情報伝達では伝達される際の情報劣化が少ないのでかつての口コミや紙媒体でのそれよりは割合が少ないものの、やはりオリジナルの一次情報から経由されるにつれ、情報そのものが変質してしまうことが多々ある。伝えられる過程で、伝える側の意図が加わるとその「変質」を助長する。

一次情報と二次情報以下の概念図
一次情報と二次情報以下の概念図(クリックすると拡大図が表示されます)

よく、「一から創造した一次情報はとてもレアなものだ、そして二次情報以下は誰でも時間とちょっとしたテクニックさえあれば生成できるものだ」という主張を聞く。極論としてRSSと少々のプログラムを組み合わせて、あとはファジーだのベイズ理論だの人工知能を採用して必要なキーワードをピックアップするようにすれば、それなりの「二次情報サイト」が完成してしまいそうな気すらする。

だが実際、サイトを運営してみれば分かるのだが、二次情報の選択にしても一人一人の個性によってピックアップされたものであり、コメントも労力的にあまり手間がかかっていないように見えても、その蓄積にはそれなりの苦労が必要となる。そしてその苦労はそのまま二次情報としての個性として反映される。

とはいえ、よくありがちな「引用文+ちょっとしたコメント」で済まそうというのは、あまりにも芸がない。昔からそのようなスタイルは存在していたわけだし、自分が語りたい、調べた結果を反映させたいという意志にはマッチしない。

そこで無い頭をひねって作り出したのが「1.5次情報」という造語。簡単に説明すれば、「完全なオリジナリティ・創造性のある一次情報ではないが、俗に言う二次情報ほどの複写性に留まる内容ではなく、多分に独自性・発展性を加味した情報」というあたりか。

現実問題として完全に一次情報だけですべてを構成するのは難しい。自分が取り扱いたいジャンルに限っても、AP、UPI、共同、その他複数のメディアと契約を結び、東証や各公共機関に記者を派遣して記者クラブに入会し、各地に取材スタッフを配置することが必要になる。大手のメディア会社でないと無理だ。

ソースは基本的に他メディアのものとする。この時点で一次情報ではなくなる。だが、単なる複写ではなく、数行のコメント以上の付加価値や独自性を盛り込ませ、二次情報を超える内容を目指す。元記事になかった情報を関連付けて盛り込んだり、リンクを調べたり、元記事で使っていたソースをさらにさかのぼって調べより詳しい内容を吟味したり、図解を追加したり、関連商品を紹介したり、検索エンジンで調査を推し進めたり、過去の関連記事と連動させて話を展開させたり。時間があり気が向けば、原文の翻訳などもやってみる。

ここまでやれば、おこがましくも一次情報と胸を張って宣言することはかなわなくとも、単なる二次情報ではなくもう少し一次情報に近づいた、1.5次情報くらいとしては語れるかな……と考えている。「一次情報」「二次情報」が数漢字表記なのに「1.5次情報」がそうでないと何となくマヌケな気もするが、「一.五次情報」と書くとさらにマヌケになるのでこれは勘弁してほしい(笑)。

1.5次情報の概念図
1.5次情報の概念図(クリックすると拡大図が表示されます)

考え直してみれば、まったくのゼロから創生した「一次情報」など、ほとんど存在しないのかもしれない。新聞社の情報にしても各企業のリリースや発表、情報配信会社からのニュースをソースとしている(文末に「共同」とか書かれているのがそれ。検索エンジンで調べると同じような文脈のニュースが複数媒体で表示されるのは、それらの媒体が同じソースをまったくそのまま用いているからだ)。ニュースなどの情報の場合は必ずどこかで何かが起きたことに対する「報道」であり、そこにはその「報道」の元ネタがあるわけだから、何もないところから作り上げたとは厳密には言いにくい。

そういった考え方が「1.5次情報」というコンセプトの免罪符になるとは思ってはいないが、一次情報の厳密な定義を考えてみると、自分が目指している「1.5次情報」も、もしかしたら新たな「一次情報」の創生なのかもしれない、と考えたりもしている。

話をおおもとに戻して。Garbagenews.com(や今後それに連なるであろう関連サイト)も、JGNNの協力のもと、そんな「1.5次情報」の集合体として構築を続けるつもりだ。もちろん記事によっては「1.1次情報くらいかな」というのもあれば「ほとんど1.9次情報くらいだよ、これは」というのもある。「他人からすれば二次情報と変わらないように見られるかもしれないし、手間ひまは何倍、何十倍もかかるじゃないか、そんなことに意味があるのか」とせせら笑う人もいるだろう。

だが少なくとも、自分自身は意味があると思っている。そしてこのGarbagenews.comなどを愛読してくださる読者の方々は、この考え方に少なくとも否定的ではない、と信じたい。

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