「チョモロ族の人々は幸せですか」……ボージョボー人形について

2005年10月19日 12:30

ボージョボー人形イメージNTV系列の番組「ザ!・世界仰天ニュース」で報じられたことによって一気に日本国内で話題となった、願いをかなえる・幸せを呼ぶ不思議な願掛け人形、「ボージョボー人形(bo jo bo doll)」。多分に踊らされている気もするのだが、それにしても反響が大きい。特に男性よりは女性の間で、年齢を問わず注目を集めているようだ。その記事を掲載したあと、こんなコメントが寄せられた。

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チョモロ族の人々は幸せですか?

果たしてボージョボー人形がチョモロ族の人々にどのようなご利益をもたらしたのか。侵略と迫害の歴史の中で、どのように彼らが幸せだったのか、そういう内容もきちんと知りたいのです。ボージョボー人形で本当に、チョモロ族の人々の「幸せのおすそ分け」を日本の人が受けられるのでしょうか。

日本からも、サイパンの人々に何か「幸せのおすそ分け」がしたいとまじめに思いました。

これだけ売れてるんですから、ボージョボー人形の売り上げの一部を世界の困っている人たちへの寄付にしたらどうでしょうか。


先の記事やその後のコメントにもある通り、自分(不破)は歴史家でもなければ実際にサイパンに赴いたわけでもない。ましてやこの人形自身を手にしたことすらない。サイパンについて知っていることといえば、太平洋戦争中「マリアナ沖海戦」とそれに伴う上陸作戦が行われた場所であるということくらい。大層なことをいえる立場ではないのだが、自分なりにネット上の情報を集め、この意見への手かがりとなるものを探してみた。

まずは「チョモロ族」というキーワード。ボージョボー人形を作った民族の名前だが、先の記事執筆時には「サイパンの先住民族の名前」というくらいにしか知識が無かった。そこで早速検索などでリサーチ。すると【マリアナ政府の観光局ホームページ(日本語版)】(以降「公式サイト」と表記)で詳細なデータを得ることができた。

番組中で語られたチョモロ族とはサイパンの先住民族。つづりはChamorroで、公式サイトによる正確な表記は「チャモロ」とのこと。サイパンには他に、「カロリニアン」(Carolinian)という名前の先住民族が居住している。かつてはチャモロ系の単一民族だったが、18世紀に入ってカロリニアン人が加わり、現在ではアメリカ、ミクロネシア、フィリピン、アジア系を主とする多民族社会が形成されているという。

紀元前1500年ごろに東南アジア方面から海を渡って島に住みついた古代チャモロの人々は、大航海時代を経てやってきたヨーロッパ人の到来とともにその姿を消していったとされている。疫病や戦争、カトリック教への改宗などにより、伝統文化も大きく変化してしまう。

チャモロ族を含むマリアナ諸島の歴史は複雑だ。チャモロ族がいたところに18世紀ごろになると南方のカロリン諸島からカロリニアン系の人たちが加わり、それと前後する16世紀にマゼランの来島をきっかけにスペイン領となった諸島は、列強の争奪戦のターゲットになる。

第一次大戦時にはドイツを経て日本が委託統治をし、その際に多くの日本人も移住した。太平洋戦争になるとサイパンなどで日米間の激戦が展開され、多くの犠牲者を出した。戦後は元日本委任統治領がアメリカの信託統治となり、1986年までその状態が続く。

その後、現在に至るまでアメリカと政治的に統合した形態としての国家を維持している(住民はアメリカ国籍で、アメリカから各種保護を受けている)。国民性もあり、治安は良い。

さて、話を戻して、肝心の「ボージョボー人形」についてだが、「ボージョボー」とは現地に生息するつる草。この実とココナッツの繊維で作られたチャモロ族による民芸品が「ボージョボー人形」というわけだ。

なおチャモロ族はスペイン統治下時代、グアムに移住させられた経緯があり、グアムにも同様の人形が存在する。同じ民族による、同じ伝統に基づいて作られたものだから、偽者も何もないという話もある。それに長い歴史の中で、地域によっても、少しずつ伝承される間に変化が生じて当然だ。

現地では6ドル前後(日本円で700円前後)で売買されていたらしいが、日本人のバイヤーらによるブームによって、値段が急騰しているという話もある。また、日本国内での販売価格も、先の記事にも載せたとおり原価の何倍にもつりあがっているのも目にする。入手困難という状況を考えれば仕方ないのかも知れないが、ある種の痛々しさを感じざるを得ない。

日本を含めた多くの民芸品、伝承と同様、「ボージョボー人形」にも何らかの由来があるはずなのだが、今回の調査では人形そのものの由来となる物語へたどり着くことはできなかった。

でもそれでいいのかもしれない。成り立ち、由来が重要なのではなく、素朴な造型をした人形にこめられた、彼らの想い、信じる心こそが大切なのではないだろうか。彼らの想いが純粋だからこそ、芯の通ったものであるからこそ、幾星霜を経た今に至るまで、伝えられているのだろう。

具体的な売上の一部を寄付云々は実際に販売している代理店などにゆだねるしかない。一般庶民にしか過ぎない我々にとっては「幸せのおすそ分け」とはどんなことだろうか。彼らが丹精込めて作り上げた、長い歴史を秘めたお守り、ボージョボー人形を手にしたとき、自分自身の願いを叶えて欲しいと願うだけではなく、彼らチャモロの人たちをも含めた周りの人々の願いもかないますように、と祈ることではないだろうか。

恐らく古(いにしえ)のチャモロの人たちも、同じようなことを考え、その祈りを込めてボージョボー人形を作り、愛しき人に手渡したに違いない。

思い続ければその思いは行動に反映され、そして本当の姿を現すことだろう。

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